【燕市・三条市で接骨院・整骨院をお探しならやしま接骨院】
・八島 拓也 Yashima Takuya
・生年月日 1991/08/25
・新潟県燕市出身
・小池小学校→小池中学校→分水高校
・セルテック新潟柔道整復師養成学院(現:新潟柔整専門学校)
柔道整復師(国家資格)取得後、新潟市内の接骨院にて研鑽し
2019年4月に燕三条・県央地区の燕市佐渡(さわたり)にて開業しました。
小学校4年生から始めた野球は、高校野球を経て今も続けています。
小さい頃から野球を続けてきた私も、元々は接骨院にも通っていた患者です。
私のケガも含め、チームメイトにもケガをする選手は多く
肋骨疲労骨折や中足骨疲労骨折、肘頭骨折、シンスプリント、足関節捻挫、血行障害、野球肩、野球肘など
スポーツ外傷を身近で感じていました。
当時、ずっとプレーヤーでいたいという思いもありましたが
ケガをして支える側の先生方を見て「柔道整復師になりたい」という思いを抱いたのが始まりでした。
専門学校時代は進んでいく方向性に迷いました。
接骨院だけでなく
スポーツトレーナーならユーティリティに動けるように資格を求めて更に別の学校
色んな外傷を見るためなら他県に整形外科
しかし、在学中に学んでいた研修先で、接骨院の技術と知識のレベルの高さを感じ
接骨院一本に絞りました❕
今までに出会った先生方のようにからだの痛みや悩みを改善し
私のようなケガや痛みで悩む患者様が少しでも減らせるように
まず燕三条のみなさまに地域貢献するため、努力を惜しまず頑張って参ります。
【 ケガの我慢の先 】
私は、ケガの我慢の先を経験しました。
高校2年生の春の話です。
新チームの春先のレギュラー争いも始まり、とにかく試合に出る。
そんな気持ち一心でがむしゃらに練習しました。
全体練習や練習試合の後、時には結果が悔しくて一人だけ十数㌔の道を走って帰るぐらいがむしゃらに。
そんながむしゃらに自主練習した翌日に残るのは、ほんの少しの腰の違和感。
けれど上手くなるために、アピールするためにも練習は休めない。違和感なんて気にしていられませんでした。
結果が少しずつ出てくると、大会に出れるようになっていました。
しかし、喜びと同時にこの頃には少しのはずだった腰の違和感は
走るだけで鳥肌が立つような痛みに変わっていました。
それでもまだ動ける。折角出れるのに出ないなんてありえない。監督やチームメイトの期待に応えたい。
大会中は更に我慢を続けるのですが、帰路は痛みで迎えの車を降りるのもやっと。
我慢の限界でした。
自分が必ず出られる保証のある選手ではないことは承知の上で
不甲斐なさと悔しさとともにチームメイトのいない試合前に監督にもう動けないことを告げました。
次の試合も、もし出させてもらえるとしたら出さないで下さい もう出れません と。
治療に専念するのですが
色んな整形外科や接骨院、治療院、カイロプラクティックの通院
まともに走れるぐらいに復帰できたのは半年後。夏はベンチにすら入れず、秋大会も最後は代打だけ。
2年生で「野球」としてプレーできたのは春だけでした。
『ほんの少し違和感』を我慢し続けたら、今でも後悔するケガに。
これが私のケガの我慢の先でした。
3年生の時でなくて本当に良かったと思いましたし、
あの違和感を放置しなければという後悔は今でも残っています。
たしかにハードな練習をしていく上で忍耐という我慢は、メンタル面やパフォーマンスアップのために必要です。
間違った我慢にならないように自分の感覚と向き合ってほしいと思います。
ケガは放置しない。ケガを育てない。
ケガや自分のカラダと向き合ったときに当院のことを思い出してもらえたら幸いです😄
ジュニアアスリートからご高齢の方にも、寄り添って支えます🙆一緒に改善していきましょう❕
【 ケガを育てない 】
休めない や 休みたくない という気持ちよくわかります。
でも違和感や痛みは放置しても、それらを育てるだけなんです。
学生アスリートの期間はあっという間。
私のようにケガで棒に振るような子どもたちが出ないように尽力する次第です。
痛みは、直接的には負傷部位の筋出力低下(痛みで力が入らない。動かしにくい。など)を起こし、
間接的には集中力も低下させ、当たり前のプレーでもミスが続く悪循環となります。
我慢は悪循環に最悪のスパイスです。
ケガに至らなくても なぜ痛いのか、なぜ痛くなるのか を知ること
最適なケアをすることがパフォーマンスアップにもつながっていきます❕
当院は痛みのケアだけでなく、根本的な原因にアプローチ️✨
パフォーマンスに関わる知識や動作改善、
再発予防に向けてトレーニング、自宅でも出来るセルフケアもご提案させていただきます❕
スポーツや運動を楽しく長く続けるために!
やしま接骨院 / body maint studio 院長 八島 拓也